『超AI時代の生存戦略 シンギュラリティに備える34のリスト』
『超AI時代の生存戦略 シンギュラリティに備える34のリスト』(落合陽一/大和書房)
一目ぼれです。
シルバーの表紙に黄色の表題、
そしてこの腰帯に、なにより「生存戦略」。
もう、書店で見つけた瞬間に、
「きっと何者にもなれないお前たちに告げる!」
っていう声が響きましたよ(オタク)。
さて。
昭和の最後の方で生まれた私ではありますが、パソコンはブラウン管で黄色とか水色の文字が黒い画面に打ち出される箱でしたし、インターネットはダイヤルアップ回線で遅いなーみたいなものだったので、そこから来ている今。
今ある仕事の何割がAIに置き換わるとか、悲観的に言われているのを見て。
…当たり前なんじゃないの?というか、なんでそんなにこの世の終わりみたいな感じなの?
と思っておりました。
代わりにやってくれるならやっていただいて、その分私にしかできないことをやればいいんですよ。
私にしかできないことって何よ!と言われそうですが。
就職活動をしたことがある方、そして就活生を社会人としてみたことのあるかたは思い出してほしいのですが。あれです。大学四年生か、社会人一年生の、根拠なき自信に満ち満ちた感じ。あれを、きちんと自分をアプデして維持していけばいいんだよと。
この本を読んでそうなの?と思われると著者に申し訳が立たないので(面識はありませんが)きちんと書くと。
「コモディティ化と向き合い、人類の価値を拡張していく。そうした中では、先ほども述べた『淡々とやること』というのが、すごく重要になる。つまり、相対的な順位争いではなく絶対的な価値。わかりやすく言うと、『自分は自分の道を信じてやらないといけないし、他人は関係ない』ということだ」
私という一個人が生きていて。そしていろいろなことをしていくとき。
そこに付きまとうのは、「私が○○をした」という事実に対する責任であって。
そんなものは、他人がどう思おうが、誰かに殺されそうなくらい妬まれようが、気持ちが悪いくらい憧れられようが、そんなことは関係ないと。
相対的な価値を生み出すものはAIが変わってくれるのであれば、人間がやることは、ことの大小はあれど―でもその大小なんてものは受け手によって変わるのだけれども―自分がやりたいことをやり抜き通して、そこに価値を作ることだけなのだと。相対評価で生きていると、これからしんどくなるよ。という。
そして、私にしかできないことは、自分で見つけるしかなくて。
でも自分にしかできないことというのは、自分であればやり続けられる好きなことというわけであって。
それでいて、それ一つしかなかったら。うっかりそれがAIや今後出てくる何か新しい技術によって変わられるものだった場合代替がきかないので、
仕事になる趣味を「3つ」持て
と著者は言っているのだと思います。
エンジニアの祖父と父を持つ私にとって、技術とは、日々進歩するものでした。
それも、積み重ねのように進歩するのではなくて、
ある日いきなり、どうしたの!?という勢いで飛躍的な進歩を遂げ、
それに対応できるかできないかで、エンジニアが二分されるのも、見てきました。
AIに何を怖がっているのか、正直私には理解できません。
AIを作ったのは人です。そして、学習させているのも人です。自分が結婚して子どもを持つのかはさておき。
「子どもは人間が作れる最高のディープラーニング環境だ」
は、納得しかしませんでした。
「先のことを考えたときに、若者の数が減っている問題は避けられない。ただ、子育てをするという必然性がないのは事実だ。ある意味、子育ては一番コストのかかる趣味だと言える。それなので、子どもがたくさんいるのも普通だし、子どもがいないのも普通ということになっていくだろう」
ああ。気持ちいい。
人が作ったものは、人が壊せます。
なぜなら、その設計図を、人は知っているからです。
どこをどう突いたら弱いのか、作った方は知っていますが、作られた方は知らないのです。
その理屈を超えていけるのは、そこに「生きて」いて、時に論理の壁を飛躍して進化するヒトなのだと思うのです。
よく言われる、AIにできる仕事はAIに。人間は人間にしかできないよりクリエイティブな仕事を、というのは、この論調を氏は嫌いと言っています、一応クリエイティブ職と呼ばれる仕事に就いている身としては、何を言っているのかがわからないのですよ。
クリエイティブな仕事って、何ですか?
記者や編集者や、デザイナーやアーティストや、コピーライターや、そういった人たちがクリエイティブ職と括られているのは分かります。でも、その人たちがやっていることの大半て、とても泥臭いことです。地べたを這いずり回ってネタを集めたり、何度も日の目を見ない記事を書いたり、ひたすら企画がとおらなかったり、門前払いされたり、理不尽なリテイクを食らったり、スポンサー様の意向を必死にくみ取ったり。
大変申し訳ないですが、世の中に生きている人間全員がそんなことをしていたら。気持ち悪い。そんな世界、怖い。ドMばっかじゃんその世界(笑)
パソコンができて、普及して、一気に仕事の仕方は変わりました。
それとAIは、同じだと思うんです。
対応できる人とできない人に分かれる。それはもう、仕方ない。機械に使われる人と機械を使う人、それは二分される。
でも、便利なものができたのだよ。と、仲良くやっていく方法を考えれば。この世界はまだまだ、これまで見えていなかったものがたくさんあるんじゃないかと思うのです。
今価値があるものが、未来永劫価値があるなんて、限らないじゃないですか。
卑近な例ですが、超有望な株が、一夜にして紙屑とか、あったでしょう。
それと一緒だと思うのです。
たとえ明日、会社がなくなっても。
たとえ明日、もうこの資格意味ないんだ☆とか言われても。
しょーがねーな!変化の速度ってすげぇな!!と、それすら楽しめるくらいでいようよ人類。
機械に心なんてないのかもしれません。
でも私は、そう言われているんじゃないのかな、と思うくらい、超AI時代はワクワクするし、新しい技術も使ってみたいと思うのです。
そんな私のドキドキとワクワクを、いいんじゃないの?と言ってくれているような。そんな一冊でした。
ただ。
校正、入ってるかこの本。表記揺れが多いぞ。あと、途中で文体変わるところがあるぞ。くそかっこいい装丁にしたんだから、そういうところ気張っておくれよ。細部にこだわってこそ、リアルの本で出す価値があるんだよ。。。
落合陽一 『超AI時代の生存戦略 シンギュラリティに備える34のリスト』(大和書房)
『プルーフマーケティング ギネス世界記録の市場突破力』
『プルーフマーケティング ギネス世界記録の市場突破力』(岩﨑慕了/宣伝会議)
いただいたので、サクッと拝読しました。
ええ。サクッと。
根本的に受付けないんですよ。
努力と運命のNO.1は意味があると思っているけど、
作られたNO.1なんて何の意味もないと思っているので。
そりゃぁ、厳密に言ったら、スポーツだって、幼少期からの積み重ねで云々ということにもなるんでしょうから、作られているっていう反論もあるだろうとは思いますが。(別にアンチギネスとかじゃないです。気持ちの問題)
「消費者の関心をひく『ファクトコンテンツコミュニケーション』」
=
「事実の証明によって、多くの人々の心を一瞬にして捉える『コンテンツ』を生み出し、コミュニケーションを円滑にしていくというもの」
コンテンツ=それ自体が独自の価値を持っており、消費者の期待に応え、満足させるもの
満足=消費者の期待を超える感動や驚きがなければ成立しない心理状態
うーん…。
人って、モノを買うとき、そんな考えてますか?
NO.1商品て、巷にあふれかえってるんですけど、それって本当に価値あるんですか。「なんとなく」で買うお客様の記憶にあってほしい、ってくらいなんだろうか……。
一番理解できなかったのが、「町おこしニッポン」。
ギネス世界記録の地方活性化。
有名なお祭りの時って、地方でも人が来ます。
でもそれ以外の時って、地元の人しかいないわけっすよ。
「一目見ようと」で来た観光客って、一回来て、たいてい満足して、二回目、来るの?
いや、全然地方創生詳しくないんで、超肌感覚でしかないんですけど。
私は京都が好きで、隙あらば行こうとしますが、お寺さんが見たい、で行くこともあれば、もうあの街の空気の中にいたい。別に何もしない。というときもあります。
ガイドブックに載っていないお店にふらっと入って、近所のおじさんたちが競馬で盛り上がっているのを横目に、おでんのお鍋を覗くのとか大好きです。
洛中だけじゃなくて、上の方にいったり、伏見にいたり、行く時々によって様々です。泊るところと、1か所行きたい新しい場所以外は、「来ましたよ」とご挨拶に行く神社のほか、そんなに決めないで行きます。観光しに行くんじゃないんで。
飛行機があまり得意ではないので(嫌いじゃないですよ)、あんまり回数行けてませんが、熊本と北海道も好きです。
熊本は、入り口はくまモン。何あの子超かわいい!→漱石や小泉八雲のところなんだ。知らなかった…→なんかこの雰囲気、好き。
北海道は、祖父の出身地。冬の網走に行く用事があったときは、防寒足りてなかった! とかなり後悔しましたが。なんか好き。
外からのお客を引っ張ってくるのって、こういう「ファン」を作らないと、一過性で終わってしまうんじゃないんだろうか。違うの?
年一回必ず来ます。
というのも活性化なのかもしれないのですが、私は埼玉の片田舎出身でして。そういうイベントの時は本当に、心の底から観光客来るな!という勢いで町が荒れたので、なんだかなぁという気分なのです。
取り立てて名産がない町で、自信がないっちゃないんでしょうけれども、そしてそういう町は存外多いのだろうと思うのですけれども。その、これまでの何十年かかけて損なわれてしまった自信は、ギネスの記録で作れるんでしょうか。
365日、毎日市外や県外から人が来る、なんていうのが活性化ではないというのは分かっています。来られても鬱陶しいし、どこかにたくさんの人が来るということは、どこかには人がいないということなわけでしょう。
活性化って、ナニ?
ゆるやかに田んぼが埋め立てられて、ぼこぼこ新築建売が建てられて、その中に溶け込むようにサ高住があって。田んぼ潰したけど、ずっとある宅地は空き地のままなんだけど? とか。
駅前の商店街ほぼ消滅しちゃったなぁ…学校指定の紅白帽、どこで買うんだっけ? とか。うちの方そんななんですけど。それは活性化してるんですか?してないって思うのは私だけなのか?
埼玉の片田舎なので。私もベッドタウン状態の一家で育ったから、そこまで思い入れがあるかって言われたら、どうだろうという感じではあるのですが、気持ち悪い違和感が残りました。
どっかで、地方活性化を考えている人に、話を聞いてみたい。
そう思ってしまった一冊です。
岩﨑慕了 『プルーフマーケティング ギネス世界記録の市場突破力』(宣伝会議)
https://www.amazon.co.jp/dp/488335377X/
『電通と博報堂は何をしているのか』
『電通と博報堂は何をしているのか』(中川淳一郎/星海社新書)
……仕事してるんですよ。
そういう話じゃないですね。
近接業界にいる身として、
そして現在進行形で代理店さんとお仕事をしている身として、
新人女子社員の過労死事件の時には正直、モノ申したい気持ちがとてもありました。
でも世論は怖いので、身内では話題にできても、書けないよね…というのが続いていて。
そう沸々していたところで拝読した新書。
「月当たり残上時間が100時間を超えたくらい過労死するのは情けない。会社の業務をこなすというより、自分が請け負った仕事をプロとして完遂するという強い意識があれば、残業時間など関係ない」
という武蔵野大の長谷川秀夫教授のFBの発言も載っておりまして。
そしてそれに、
「実はこの発言に対し、当の広告業界の人間は首肯する面もあったのである。「情けない」とは思わないものの「100時間を超えるくらいなら、よくあることだ」と考えている」
「きつい部署に入っても『きついです!』と手を挙げてしまえばいいんです。ふてぶてしく生きればいい。(中略)当然1年目でそんなことをできるわけがないけど、だからこそ、そうした対応をできない若い子をあの部署に配属させたのが問題です」
という、実際に代理店で働く方のコメントをひいているのです。
そうなんだよ……。
情けないとは言わないんだけども、よくあることなんだよ。
たとえ一年目だろうと、社会人なら、「あ、心の風邪ひくわ」って、自分で察知するところまで仕事なんだよ。ポテンシャルで採用してるんだよ新卒って。最初は何もできないってわかっているんだよ新卒って。伸び代を買ってもらってるんだよ。
自分も新卒で今の会社にいるのですが。
新卒一年目なんて、わけのわからない自身に満ち溢れていて、
それで大抵めんどくさい事件を起こしてくれて(自分もやらかした)、
上司や先輩がいケツ拭きに行って、「働くとは」というのをそこそこ偉い人や、先輩たちから学びながら、二年目はまだ無理でもせめて三年目には使えるようになります!ってやるもんでしょうよ。
今10年目ですが、かつての上司や先輩から「ほんっとにかわいくなかったわー!これで3ヵ月(いたところは3年も待ってくれるところではなかった…)で使えるようにならなかったら絞め殺してやろうかと思ったよね!」って言われるわけですよ。えへへ。ありがとう先輩たち。
一年目で、なんで抱え込んだのかがわからない。上司が送検されたから事実としてパワハラはあったんだろうけど、それでも上役はその一人しかいないなんてことはあり得ないわけで。
きっとこれまで、どうしたらいいかわからないような難題とか、挫折とかを味わってこなかったんだろうね。だから「逃げる」っていうコマンドを入力できなかったんだろうね。
と、仲間内で話していたことが、活字になっている一冊です。
あと。クレームや炎上の部分もちょっと楽しい事例がありました。
「かなり批判を浴びたある広告。担当していたのは若手の女性クリエーターだった。人生初の炎上で、陰鬱な気持ちになってクライアントのところに謝罪に行った。するとクライアントはこう言ったのだ。
『世の中の議論のきっかけをつくたんだから大成功だね」
さらには、彼女の師匠筋にあたる先輩クリエーターもこう言った。
『いやぁ、炎上したってのいいね、話題になって良かったよ。お前さ、『狙ってやったんですよ!』って言っとけばよかったのに!』」
いいね。
いや、本当にいいと思うんですよ。
著者も書いていますが、何十万とアクセスがあって、そこで数件のクレームがついたっていうのでおろおろするとか、何言ってるかわかんないんですよね。
そんなので広告取り下げるんなら、私ガンガンに電話しますよ。
少なくとも、クリエーターは炎上リスクとか考えないで、
「刺さる」と思うものを提案してくれないと困るんですよ。リスクを考えるのはこっちの仕事なんで。
炎上といえば。
資生堂の「25歳からは女子じゃない」というインテグレートのCM、すごく好きだったんです。
女子じゃねえよ。25歳ですよ。四半世紀生きて「女子」ってなんですか。女性ですよ。
そろそろ責任もって働いてほしいし(実際そういうことを言われたよ自分が25の時)、
「がんばってるを顔に出さない」もそうなんですよ。頑張っていようといなかろうと、仕事は結果がすべてなんで。途中経過頑張ってたけど契約取れなかったねとか、さ。どうしろっていうのよ。慰めればいいの?私、無言でフォローに回れらた経験しかないわ。
今この価値観?という書き込みをした人たちは、今の企業で生きている方々なのか。リアルに企業で働いてみろ。夏帆がいったセリフは全部本当に思うことなんだよ。週末ごとにアップされる結婚式の写真に「まじかー」って思うんだよ。もう若手って言えないなって突きつけられるときなんだよ。むしろ応援してくれてるなって思ったよ。
私がいる会社は上場しているそこそこの規模の会社だが、申し訳ないけれどこの価値観で成り立っているよ? 女性が普通に活躍している社会だったら、保育園落ちた日本死ねという投稿はそもそも発生しないんですよ。まだまだ男性社会なのです。
疲れた顔して、疲労を前面に出している女より、
目の下にクマがあっても、「おはようございます!」って空元気ってわかる声でも言う女の方が、かわいがられるんですよ。当たり前ですよね。仕事するときにマイナスな要素が最初っから出てる人には頼みませんよ。
男性だって同じ。疲れてるって主張うるさいからあいつには仕事ふらねーわって、普通にあるじゃない。多少ミスしても、愛想のある男性とか、なんか愛嬌のあるおっさんとかの方が、仕事頼みやすいし、実際仕事しやすいでしょ。
オンエア見た時に、お。一石投じてくれるのかな。
と思ったので、なんかね。
仕方なかったんだろうな、と思う反面、残念だなーと。
閑話休題。
これからは、答えのない問題に取り組まなければならなくなる、と言われていて。
でもそれって、今のクリエイティブがかかわる仕事はすでにそうなわけです。
「答えがない=最適解と思われるものを探すために必死であがかなければならない」
のです。
そしてそれには、ものすごく時間がかかる。
それをチームでやるか、個人プレイヤーに託すか、代理店の特性上様々あるにしても、
人が頭を使わなければならないし、その時間は何物にも代えがたいと、私は思います。
それを「なんかもうちょっとでいい感じのところまで行けそうだけど22時なんでお開き!」とかは、むしろバカなんじゃないの? と思うわけです。思考が途切れてしまうよ?
代理店で働いている人たちは、ちょっとネジ飛んでる?っていう方もいるけど(誉め言葉)、みんな普通の人間なんですよ。なんでそこをわからない人が多いんだろうね。
というのが、一番きれいにまとめた感想です。
電通と博報堂、両方と仕事をしたことがあれば「あーわかるわかるw」と。
片方としかなければ「へーそうなんだー」と。
両方とも名前は聞いてるけど何してるの?であれば、「ほー」となる一冊です。
■
もともと本を読むのは好きです。
でも読んだ感想を公開するのは正直言って大嫌いです。
頭の中を覗かれているような、大事な気持ちに土足で入られるような、
そんな経験をしてきたから。
でも、対価をいただかない書評というのは、
とどのつまり自分はどうとったんだよ、というのを発信することなわけで。
なんだか信条とは相反するもののような気がしてならないのです。
で。最初に書くんだったら、
自分が重たい腰を上げて、大学院に行くか。と決めるきっかけをくれた、
この本にしようと思いました。
範乃秋晴「おばけの遊園地始めました」(MW文庫)
範乃先生には「マリシャスクレーム」で初めてお会いした(リアルではありません)のですが、その時から大好きです。そのお話はまたどこかで。
「明日をよくするために生きてきた君が、今我慢しているのはどうしてだい?」
「よくなった明日が来ても、君はまた新しい我慢を始めるだろう。
明日をよくするために我慢を続けても、その明日は永久に訪れはしない」
「楽しいことをしなさい。楽しいと思えることだけを。
今この時間を思いきり楽しみなさい」
遊園地のスタッフとして働く主人公に、とあるキャラクターが言ったこのセリフ。
8年いた部署から異動して1年。
早くこの部署のお作法に慣れよう、と思ってもどうにも違和感がぬぐえなくて。
一つのとげを飲み込むたびに、次のとげはもっと大きくなってきて。
どうしたらいいんだろう、と思いつつも、引っ張ってくれた人がいたから頑張れていたのですが、その人も会社を辞めてしまって。
武器も防具もたくさん持っている。でも、心がノーガード。
そんな状態で、それがバレたらちょっと付け込まれるよね、どうすっかな。
とか、もう仕事を楽しむとかそんなことを考えられなくなりかけていた時に
出会ったのがこのセリフでした。
くっそしんどい思いをしても、あとから思うと超楽しかった。
それは、「いいものを作りたい」という思いと、その時できることを精一杯やれたから。
精一杯今、やれてるのかしら。
思うようにコトが進まないのを、自分のこの分野での基礎知識がないのをいいことにして、全部誰かにおっかぶせてないか?
ていうかそもそも、ガタガタ言ってくるのを黙らせられるくらい、
きちんと理論武装できればいいじゃん!
というお目でたい思考回路をつないだ本とでも言いましょうか(笑)
そんなこんなで。
『黒バス』の木吉のセリフとも被るんですけど。
「楽しんでこーぜ!」というのが、私の根本に流れているものなんだな、というのを、
再認識させたうえで、「学校説明会へ行く」をぽちっとさせてくれた本でした。
よかったら、読んでみてくださいな。
って、別にMW文庫の回し者とかじゃないですけどねw
範乃秋晴「おばけの遊園地始めました」(MW文庫)