『プルーフマーケティング ギネス世界記録の市場突破力』

プルーフマーケティング ギネス世界記録の市場突破力』(岩﨑慕了/宣伝会議

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いただいたので、サクッと拝読しました。

ええ。サクッと。

根本的に受付けないんですよ。
努力と運命のNO.1は意味があると思っているけど、
作られたNO.1なんて何の意味もないと思っているので。
そりゃぁ、厳密に言ったら、スポーツだって、幼少期からの積み重ねで云々ということにもなるんでしょうから、作られているっていう反論もあるだろうとは思いますが。(別にアンチギネスとかじゃないです。気持ちの問題)

 

「消費者の関心をひく『ファクトコンテンツコミュニケーション』」

「事実の証明によって、多くの人々の心を一瞬にして捉える『コンテンツ』を生み出し、コミュニケーションを円滑にしていくというもの」

コンテンツ=それ自体が独自の価値を持っており、消費者の期待に応え、満足させるもの
満足=消費者の期待を超える感動や驚きがなければ成立しない心理状態

 

うーん…。
人って、モノを買うとき、そんな考えてますか?
NO.1商品て、巷にあふれかえってるんですけど、それって本当に価値あるんですか。「なんとなく」で買うお客様の記憶にあってほしい、ってくらいなんだろうか……。

一番理解できなかったのが、「町おこしニッポン」。
ギネス世界記録の地方活性化。

有名なお祭りの時って、地方でも人が来ます。
でもそれ以外の時って、地元の人しかいないわけっすよ。
「一目見ようと」で来た観光客って、一回来て、たいてい満足して、二回目、来るの?
いや、全然地方創生詳しくないんで、超肌感覚でしかないんですけど。

私は京都が好きで、隙あらば行こうとしますが、お寺さんが見たい、で行くこともあれば、もうあの街の空気の中にいたい。別に何もしない。というときもあります。
ガイドブックに載っていないお店にふらっと入って、近所のおじさんたちが競馬で盛り上がっているのを横目に、おでんのお鍋を覗くのとか大好きです。
洛中だけじゃなくて、上の方にいったり、伏見にいたり、行く時々によって様々です。泊るところと、1か所行きたい新しい場所以外は、「来ましたよ」とご挨拶に行く神社のほか、そんなに決めないで行きます。観光しに行くんじゃないんで。

飛行機があまり得意ではないので(嫌いじゃないですよ)、あんまり回数行けてませんが、熊本と北海道も好きです。
熊本は、入り口はくまモン。何あの子超かわいい!→漱石小泉八雲のところなんだ。知らなかった…→なんかこの雰囲気、好き。
北海道は、祖父の出身地。冬の網走に行く用事があったときは、防寒足りてなかった! とかなり後悔しましたが。なんか好き。

外からのお客を引っ張ってくるのって、こういう「ファン」を作らないと、一過性で終わってしまうんじゃないんだろうか。違うの?

 

年一回必ず来ます。
というのも活性化なのかもしれないのですが、私は埼玉の片田舎出身でして。そういうイベントの時は本当に、心の底から観光客来るな!という勢いで町が荒れたので、なんだかなぁという気分なのです。
取り立てて名産がない町で、自信がないっちゃないんでしょうけれども、そしてそういう町は存外多いのだろうと思うのですけれども。その、これまでの何十年かかけて損なわれてしまった自信は、ギネスの記録で作れるんでしょうか。


365日、毎日市外や県外から人が来る、なんていうのが活性化ではないというのは分かっています。来られても鬱陶しいし、どこかにたくさんの人が来るということは、どこかには人がいないということなわけでしょう。

活性化って、ナニ?
ゆるやかに田んぼが埋め立てられて、ぼこぼこ新築建売が建てられて、その中に溶け込むようにサ高住があって。田んぼ潰したけど、ずっとある宅地は空き地のままなんだけど? とか。
駅前の商店街ほぼ消滅しちゃったなぁ…学校指定の紅白帽、どこで買うんだっけ? とか。うちの方そんななんですけど。それは活性化してるんですか?してないって思うのは私だけなのか?
埼玉の片田舎なので。私もベッドタウン状態の一家で育ったから、そこまで思い入れがあるかって言われたら、どうだろうという感じではあるのですが、気持ち悪い違和感が残りました。

どっかで、地方活性化を考えている人に、話を聞いてみたい。
そう思ってしまった一冊です。

 

岩﨑慕了 『プルーフマーケティング ギネス世界記録の市場突破力』(宣伝会議

https://www.amazon.co.jp/dp/488335377X/